この様に、「神」を直接現す、姿も形も無いのだが、名無しという訳にはいかない。
其処で、我が国古代の古事記や日本書紀の神話に記されている、天地が
開けたとき最初に出現した、天地万物の大元主宰の神として崇められている、
「天之御中主神」こそが、我々が唯一に信仰すべき神であり、八百万の
神の創主というべき存在であらせられるわけだ。
つまり、神道としての始源神ともいうべき神を再認識したうえで、我が民族に広く布教
すべき神であり、更に皇祖神であられる天照大御神の祖神でもあらせられるわけで、
まさに源泉となる神を純粋に信仰することから、日本発祥の神道の原理的な主義が
はじめて成り立つわけである。
これは、決して新興宗教でもなく、また新たなる創造神仏とかいうレベルのものではなく、
真実なる原理で、未来に於いても普遍なものである。
と言っても、既成の神社神道や中世の古神道でもないのだ。
ではなにかと申せば、我が国の古来独自の「先祖崇拝」や「自然崇拝」に
基づき発展した「生き方」や「観かた」「考え方」を根本に於いた上で、この国から独自に
発祥し信仰されている「神道」を純粋に、信じていき、尊び、学び、活動し、
個人から社会へと育むものなのだ。
超大国アメリカの国家戦略には、キリスト教原理主義が大いなる影響を与えている。
ユダヤ教のイスラエル然り、中東地域を始めとしてアフリカ・東アジアに至る強固なる
イスラム教原理主義など、米ソ冷戦終結以降は特に、原理主義同士の壮絶なテロや、
地域戦争が多発している。
その共通のキーワードである原理主義とは、他の宗派を絶対に認めないという
教義の大原則の基、互いに排除するまでは終焉することはない。
残念ながら、宗教戦争は有史以来の普遍的な戦争でもあるわけだ。
然し、我らの神道原理主義とは、教祖や聖典等の原理主義
ではなく、宇宙の地球における自然、つまり「有りのまま」の自然教なのである。
それにしても、宗教を根元とした戦争は、何故熾烈なのか?
それは、世界では大多数の人間は宗教を生命の源として、精神的支柱として捉えているからであり、
民族挙げての国家宗教となっているのである。
翻って、日本には戦前の過激な国家宗教としての神道が精神的支柱ではあったのだが、
戦後の占領政策によって完全否定され、逆に抑制され過ぎてしまった。
けれども、我ら民族に脈々と受継がれてきた血と魂の中に、決して拭い去ることの出来ない
神道の息吹が、この乱世の虚無観の中に今鮮やかに蘇ろうとしている。
其れが、我らが主宰する神道原理主義なのである。
|