この日本国全体に蔓延する不正・不満・不案・不信が、いつのころからか、
我が国に暗く覆い被さっている。
好き放題勝手にこの国を動かしている、政治家と官僚たち!
そして、それらを金とポストで裏から操りながら、膨大な既得権益を保持し、
更に欲し続けようとしている、多くの大企業たち!
政・官・財の鉄のトライアングルによって、蝕まれた我が国の民族は、
何処に希望を、未来を見出せればよいのだろうか?
もの言わず、社会に無関心で、この悪政にもただひたすらに
沈黙している大多数の人々。
其れをいいことに、輪をかけてやりたい放題に搾取し、
無責任極まる政治の数々。まったく惨憺たる有様であろう!
この国の何処に、「正義」・「大儀」を見いだせばよいのだろうか!
バブル崩壊と共に、我々に見え出したのは、経済至上主義の名のもとに、
今まで潜んでいた、心の荒廃だった。
大戦の敗戦後の混乱と占領政策によって、戦前の強固な「国を愛する」
気持ちを完全否定する教育や、米国が民主主義を日本に導入するとき、其の民主主義は、
米国式ではなく、歪んだ、統制された民主主義いわゆる社会民主主義なる
日本独特の統制された民主国家を創出してしまった。
もとより、江戸時代から高度な職人技術を有していた我が国は、明治維新後、
産業革命から富国強兵路線を突っ走り、東洋の国の中でいち早く先進国家の
仲間入りとなったぐらいに、技術や勤労能力は優れていることもあって、
戦後、驚異的な経済復興を果たし、その結果、米国に次いで、世界で2番目の経済力を
有する経済大国になった。
そして国はあり余る金を、放蕩の限りを尽くし、使い果そうとしている。
然しながら、その過程で、国づくりの大事な礎である民族の教育が、
日教組と文部省との綱引きという政争に明け暮れた結果、精神と道徳の教育が軽んじられ、
知識偏重の不健全な民族が育成されてしまった。
これは、何と不幸で、不憫なことではないだろうか!
まさに、「仏造って魂を入れず」ではあるまいか。
政・官・財の永年に渡る癒着構造の中での不正なる富の配分、
一部の既得権益者による富の独占など、富の格差が年々急速に拡がりつつある。
その結果、国民の一部の権力者や富裕層は益々栄え巨大になりつつあり、
そこまではいかないが生活に困らず、適度に余暇を満喫できる中流層と言われる、
大企業の社員や公務員は、今日の状況でも充分満足が出来、
与えられた中で、人生を謳歌しているであろう。
然しながら、我が国の大多数の人々は、毎月の年金のみで生活している老人たちや、
倒産や不況に怯える中小企業の経営者や、更にリストラの不安に怯える社員たち、
まして働こうにも就職できず、止むを得ずフリーターなどの不安定な職しか選択できない
若者たちや、家に引き篭もったり、街を目的も無く徘徊することで漂っている若者たちが、
只ひたすら、世の中が好転するのを、じっと待ち続けている、そういう人々なのである。
公平なる土俵(フィールド)の中で、個々に於いて、頑張った者、努力した者による
経済・勤労活動の結果によっての、富の配分や格差であれば、
当然我が国の国是である民主主義や資本主義に則って、国民誰しも納得できようし、
又、そこから芽生えてくるのは、個人個人の努力による公正なる競争によっての
健全な社会であり、経済が培われよう。
不正を排除し、公平なるルールで、公正な競争の結果、良いものは勝ち選ばれ、
悪いものは駆逐されるという、本当の競争原理であれば、
真にこの国はより良い社会へと、発展するであろう。
然し、残念なことにこの国の隅々にわたって実施されている公共事業は、
談合という歪な状態で執り行われているのは、周知の事実であろう。
談合は、既得権益を生み出し、そこには癒着が生じる。
更に癒着の為に、歪んだ政策や偏った政策が罷り通るようになる。
悪の輪廻が、益々この国を堕落させ、社会全体に悪影響と多大な負債を充満させる。
良い事は全く無く、一部の既得権益者だけに甘い汁をのうのうと吸わせている。
まるで、この国の寄生虫のように。黙々と吸い続けている。
こういう図式は、何も公共事業だけでなく、医療や介護、農業、教育、産業政策など、
この国の官僚行政の、至る所に見受けられる。
この問題に真摯に取り組んでいた故石井代議士の死は、とても残念だが、
誰かがこの国の不正をもっと曝していかないと、国民はまだまだ、搾取され続け、
やがてどうにも立ち行かなくなってしまうだろう。
それでは遅過ぎるのだ。
亡国への悪化を、如何にかしなくてはならない。
長野県知事である田中康夫氏が、長野県内において談合システムと闘っているが、
永年この国を蝕んできた制度は、政治家・公務員・大手民間業者の
根元まで染み渡っており、更に変化を望まず、今が良ければ他の事は何も考えない
保守的な人々の後押しも有る為に、そう簡単にはいかないようだが、
国民周知を背に何とか怯まず改革してもらいたい。
ただ思うに、談合も当初は、相互扶助の目的で行われたのであろうが、
段々と指名入札制度を悪用する輩が跋扈してきだすと、当初の目的が歪められて、
単に皆で税金泥棒の算段をしているのに過ぎなくなってしまった。 この悪しき慣習が、
我が国津々浦々の自治体で役人公認、
酷いところになると役人指導の不法が堂々と罷り通っている。
このように制度の悪用は、当初の目的や使命から大きく逸脱するだけではなく、
他の分野でも同じよう制度の崩壊をも呼び起こさせ、その結果、なかなか表にでにくい
犯罪を醸成させ、しいては,ばれなければ何でも有りという風潮をも醸成される、
まさに悪循環である。
やはり人間は、性善説より性悪説をとるべきなのか…。
この国特有の「和をもって貴しとなす」の誤った捉え方にあるのではなかろうか。
「和して同ぜず」という考え方のほうが、今からの日本には、必要じゃないかと、
我々は痛感する次第である。
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